クロネコの手帳

知ったこと+考えたことの記録

「わたしの」欲求段階は今ココ

Voice of ちきりんの【マズローではなく「あなたの」欲求段階は今ドコ?】を聞いた。

voicy.jp

 

面白そうだなと思って私の欲求は今どの段階にあるのかというのを考えてみた。

そして気が付いたのはこの2点
①私には妻・母・娘・一社会人といった複数の顔があって、それぞれで欲求段階が異なるということ
②割と短期間で欲求段階の変動も起こりうるということ

 

照らし合わせるのはこちら

人は下の階層の欲求がある程度満たされたらその次の段階の欲求を求めて自己実現・自己超越に向かっていくという説。詳しくはググってみて下さい。

 

 

私の欲求段階は?

<1生理的欲求>
<2安全欲求>
治安のよい国・エリアをベースに衣食住が足りているので、十分に満たされている

 

<3社会的欲求>
家族がいて、仕事もしていて、プライベートの交友関係もあるのでこれも満タン

 

<4承認欲求>以降
ここから、自分のアイデンティティを構成する要素ごとに欲求段階が異なるような気がした。

妻として
満たしてくれる人は夫しかいないので、満たされているどうか分かりやすい。
比較的満たされていると思う。
妻としては承認欲求が満たされていたらアガリのような気もする…その先の段階に欲求がいかないような…。

母として
母としての承認欲求を満たしてくれるのは子供たち?それとも外から母親ぶりを見ている人?どちらなんだろう。

 

前者だとしたら子供達は生まれた時から無償の愛情を親に与えてくれて、頼りにしてくれるから確実に<4承認欲求>は満たされるな。

後者だとしたら、育児状況が外に開かれがちで、それを見ている人が多い時期=子供が幼児~小学校低学年の時期が満たされやすいような気がする。
小学生以降になると親同士が日常的に交流しなくなるので、母親ぶりを見られる機会が減る→承認欲求が満たされる機会も減る…? 
少年野球のような親のコミットが大きいスポーツや中学受験の伴走を熱心にしているケースだと、母親同士で承認欲求を満たし合うことも損なう機会を得ることもありそう。
我が家はいずれのケースにも当てはまらないので「良いお母さん」として人から承認される場面は今はない。
 
母親としての頑張りを人から評価されたいというような欲求自体、私にあるかな。。。
私の場合は子供が乳幼児期から自分のまわりにいるママとは異なる選択・対応をしがちだったので、承認欲求段階をすっとばして自己実現欲求の方に一足飛びに行っていたのかもしれない。
<4承認欲求>が満たされているかどうかはよくわからないのだけど、なぜか<5自己実現欲求>の方はそれなりに満たされているような気がする。
マズローが正しいのであれば<5>が満たされているのであれば、自動的に<4>も満たされているということになるのかな?

 

働く人として
これは一緒に働いている人たちが認めてくれさえすればある程度満たされるし、数字にも表れるので割と満たされている。
今この瞬間は<5自己実現欲求>の段階にいる状態なような気がする。

娘として
日々の生活の中で私が娘として過ごす時間が占める割合は一番低いのだけど、娘としては<3社会的欲求>までしか満たされない。
両親は何故かマウントをとるような言動が多く、娘(私)が子供から「クソババア」と呼ばれる中年のオバハンになっても未熟な若輩者として扱おうとしてくるので、対両親で考えると<4承認欲求>が満たされることはない。そういう意味では総合的な私の欲求段階を引き下げる要因になっているのは自分の中の娘としてのアイデンティティなのだと思う。
 

以上が私の欲求段階の現状。

 

欲求段階は揺れ動く

自分の欲求段階がどこなのかを考えている中で、随時微動しているということにも気が付いた。

 

例えば・・・
◆妻としての欲求段階はセックスの頻度などで変動する(喧嘩をして間があいたりすると承認されていないような気がして段階が下がる)とか
◆母としての欲求段階も子供のトラブル対応がうまくいかないときは一気に下がるなとか
◆職場で自分がナイスだと思ったムーブに誰も気が付いていないような時には下がるし、正当に評価されていると感じると上がる

 

そして疑問に思ったのが、段階が上がれば上がるほど幸福度も連動して上がっていくのかという点。もう少し自分の状況と照らし合わせながら観察・分析を続けないとわからないけど、仮にそうであるとするならば、比較的高い欲求段階にあるものに自分の時間を多く割いていくことが幸せの階段を上る近道なのかもしれない。